君だけに

月を捉えた十字の紋章。
あれはネージュがオリハウラからもらったものだ。
視線に気づいたネージュがこっちを見た。

「何?」

年齢にそぐわないあどけない表情。
深く考えもせずに、出てくる言葉。
壮年の精霊が彼に全てを譲る気になったのは、あの幼さ故だろうか。

「何でもないわ」
そう答えた自分の声が尖っている。

ネージュは何かを言いたそうにしていたが、ガーベラが顔を背けてしまったのを見て口をつぐんだ。

違うとわかっている。
オリハウラはネージュを助けたかっただけだ。
ネージュを助けるにはそうするしかなかったのだ。

ネージュだけを選んだわけじゃない。
…決してガーベラを、蔑ろにしたわけじゃない。


――わかっているわよ。そんなことは。

ネージュが受け継いだあの力が欲しかったわけではない。

ただ、ネージュと同じように過ごし接してきた自分に、別れの言葉を伝える機会が訪れなかったことが納得できないのだ。
オリハウラは最後に少しでも、自分のことを考えてくれただろうか。
もし、自分がネージュの立場だったら、オリハウラは同じようにしてくれたのだろうか。

――やっぱりこれは、嫉妬ね…。




自分の部屋に戻り、扉をきっちりと閉める。

ベッド。鏡。本棚。カーテン。
手を伸ばしたいものがない。ベッドに飛び込もうとしたが、それすらも気乗りがしない。
扉の前で立ち尽くしたまま、虚空を睨む。
モヤモヤとした感情を、ため息と共に吐き出そうとする。
自然にしわが寄る眉間を、指で伸ばした。

姿見の大きな鏡に目がいく。
――ひどい顔をしているんじゃないかしら。
鏡を見ようと足を踏み出す。カーペットの感触がいつもよりチクチクしているようだ。

もう少しで自分の顔が見えるという場所まで来て、一瞬、鏡が視界から消えた。
カーテンが大きく膨らみ、視界を遮ったのだ。

鏡を覗こうとしたことも忘れて、ガーベラはそのまま、風がカーテンで遊ぶのを呆けて見ていた。

――昨夜からずっと、開いていた…?

開けた覚えのない窓が、開いていた。
不思議に思いながら、窓に近づく。窓は3分の1程度開いている。
父か母が、換気をしようと開けたのだろうか。

カーテンはされるがままに風に吹かれている。
換気ならもう十分だろう。窓に手をかける。

閉めかけたところで、窓に差し込まれているものに気が付いた。
そっと手でつまむ。
それはガーベラの掌ほどの大きさの1本の羽根であった。

こんなところに何故羽根があるのだろう。
鳥の忘れ物というより、まるで届け物のように。
それとも風がどこかから運んできたのだろうか。

透き通るような白い羽根。光にかざすと、紫や緑を帯びる。
触ってみると少しごわついており、鳥の羽根とは材質が違うようだ。
くるくると変わる色を楽しみながら、ガーベラはつぶやいた。

「まるでオリハウラの羽根みたい。」

閉めようとしていた窓を思い切り開ける。
外は青空。ぬるい風が部屋になだれ込んでくる。
カーテンは相変わらずされるがままに形を変える。
大きな雲流されちぎれていく。

オリハウラはどこにもいない。


羽根をくるくると回す。今度は青色に見える。

「そう、これをくれるのね。」



――私にもネージュと同じことしてよ!
幼いガーベラがそうせがむと、オリハウラは前脚でぽりぽりと頭を掻いた。
――同じことは出来ないなぁ…

ずるいずるいと泣きだすガーベラを背に乗せて、オリハウラは崖の上へと向かう。
そこには見たこともない花が咲いていて、それを見たガーベラはやっと泣き止んだ。
――これはネージュには見せてない。ガーベラが初めてだ。
そのセリフを聞いて、ガーベラは満足げに頷いた。



昔を思い出して苦笑がこみ上げる。
なんと幼かったのだろう。幼い自分の幼い行動。
あれから何年経ったと思っているのよ。
子供のときと同じ方法でご機嫌を取るつもり?

… ……でも


「…わかったわ。
 今回はこれで、許してあげる。」

羽根を光にかざしながら、くるくる回す。
今度は桃色に見えた。
これがどんなに綺麗な色で輝くか、後でネージュに教えてあげよう。














君だけに …END


背景素材は「INFINITY」さん(http://2st.jp/infinity/)からお借りしたものを加工し、使用しています。