塵の名前、灰の名前 1


自分は、何をもってして”自分”となるのだろう。

血筋だろうか。
名だろうか。
記憶だろうか。

なら、それらすべてが自分のものでなかったら?

その瞬間、自分は”自分”の座から転落するのだろうか。


そうしたら自分は一体… 何になるのだろう。



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「ここで待っててね。」
ガーベラがオリハウラにそう言い残して店の中に入って行ったのは1時間も前だったと思う。

最近ではあまりにも長い彼女のショッピングに、ジュノウもパンセも付き合わなくなった。
それでも店に行くには足が必要だ。 オリハウラがこうして彼女を待つのは恒例行事になりつつある。
最長4時間待たされたことがあるが、そのときガーベラの戦利品ときたら、なんと小さな袋一つだけであった。

「何にそんなに時間がかかるのかね…」
今日は一体、どれくらい待つことになるのだろう。

涼しい日だ。
同じように言いつけられた馬や犬が、日陰で気持ちよさそうに寝転んでいる。
その傍らにオリハウラもふせった。

(暇だな…) 共に店に入ることもできる。 だが、店内は狭苦しいし、ガーベラがほしがるものを見ても何がいいのかさっぱりわからない。
ガーベラの手も足も目もすごい速度で動き続け、見失うと怒られる。
しかも「どこにいってたの」と来たもんだ。

理不尽だと思いつつ、同時に笑ってしまう自分がいる。

(ま…あと2時間もかからんだろ)
時間は有り余っている。 オリハウラは忠犬よろしく、待つことにした。


道行く人たちがオリハウラの目を楽しませる。
市場に用があることだけが共通である彼らは、容姿も目的も様々だ。

年老いたものが大きな袋を担ぎ上げ、若いカップルが何を買うでもなくふらふらと店を覗く。
子供が親の手を引っ張り先導し、またあるところでは親が子供を引きずって店から離す。
店主は客にものを売るべく大げさな身振り手振りで品を勧めている。
かと思えば、向かいの店主はやる気がないのか客に顔すら向けず、「買う」というまでほったらかしを決め込んでいる。

男、女。 子供、大人、老人。 一人のもの、二人のもの、家族で歩くもの。
目まぐるしく変わる目の前の情景の中、一人、オリハウラの目を引くものがいた。


男…だろう。

白いを通り越して青い肌の色。 頬からは肉が完全にそぎ落とされ、頭蓋骨の形が浮き出ている。
白目がぼんやりと黄色みがかっており、目の下には濃いくまが出来ている。
生気は感じられず、まるで死人のようだ。

だが、彼の着ている服は一目で素晴らしいものだとわかる。
糊のきいた白いシャツを着ており、その上から品の良い紺のジャケットを羽織っている。
その不釣り合いさが余計に不気味だった。

オリハウラは体勢を変えないまま、男を目で追った。
歩き方が美しい。 背中は真っ直ぐに伸ばされ、頭が動かない。
靴も上等そうだ。 新しくはなさそうだが、よく手入れが行き届いている。

一人の女性が店から飛び出してきた。
慌てた様子で男にぶつかる。
男が小さく「失礼」と言ったのが聞こえた。 見た目からは想像できない低く、通る声だった。
女性も小さく会釈をして通り過ぎようとして…
「ひっ…!」
男の顔をまともに見たのだろう。 女性が小さく悲鳴を上げた。
それまで男に注意を払っていなかった周囲の人間の目が男に集中した。
ざわめきと息を呑む音が、場に広がる。

その時の男の反応にオリハウラは驚いた。

男は驚いた表情をしたのだ。 自分を見て、なぜそんな表情をするのかといわんばかりの顔だった。
その顔はみるみるうちに不快な表情へと変わる。
それを見た周囲のものが速足でその場から去っていく。 何をされるのかと思ったことだろう。

男は群衆を睨み付け、しぶしぶといった面持ちで懐から帽子を取り出し目深に被る。
そうして再び市場の人の群れに混じって行った。

(なんだあいつは…)
普通の人間ではないだろう。
通常ああいったものは、自分のことをよくわかっている。
周囲に奇異な目で見られることは日常的なことである。 それはオリハウラも同じだ。

それを嫌がるものは隠そうとするし、いとわないものはそういう目で見られたからといって驚いたりはしない。
…だというのに。 あの男の反応…
まるで自分の容姿を知らないかのようだ。 …それとも初めて人がいるところにきたのだろうか。


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