塵の名前、灰の名前 8


「…リビングデッド」


「… ………何?」

「そういうものを、リビングデッドというんじゃなかったかしら?」
人刺し指を頬に当てる。 はて、だれに教えてもらった単語だっただろうか。

「あなたはリビングデッドになったの?」
男の顔が引きつる。 多少その表情をごまかそうとする努力がうかがえるが、彼の気持ちはストレートに顔に出てしまっている。
「…違う。 リビングデッドとは、死んでいるのに、そのことに気付かず生きているかのように動き回るもののことですよ。
 私はそんなものではない。」
魅力的だった声は、怒りと不快を抑え込んだ低く唸るような声に変わった。

「そう…間違えちゃった。 あなたは死んだわけではないものね。」
「あんなものと同じにされるとは、不快だ…
 醜くておぞましくて。 そのうえ不死者といえないものが大半。
 ただ死ににくいだけの者ばかり。
 私たちの能力とは比べ物にならない。」
男は「私たち」の部分を強調する。

「でもあなたも生きていない。

 あなたは生を捨てただけ。 死んでいないだけ。」

男の目が大きく見開かれる。
驚きと怒りの表情だが、血が通っていないからだろう。 顔色が変わるようなことはなかった。
黒目は濁っている。
男は反論しようと口を開いた。 それを遮る。
「あなた人を捨てて、灰そのものになったのね。」
灰は老いない。 灰は傷つかない。 灰は病気にならない。 灰は死なない。


…灰でしかないのだから。

「そんなものになって一体何を得ようというの?」


「私たちを侮辱するのかああああああっ!!!」

男の怒声が響き渡る。 すっかり数の減った通行人のすべてが振り返った。
怒りに満ちた手がガーベラの胸ぐらをつかむ。
彼がこんな怒り方をするとは想定外だった。
冷静で理性的なタイプと見ていたからだ。 そしておそらく、彼自身も自分の怒りに驚いていることだろう。

男は怒りに任せてそのまま右手を振りかぶった。

目を強く瞑ると同時に、ガーベラの顔に衝撃が走る。


くぐもった異様な音がした。

…だが、痛みは感じない。 想像していたよりもずっと小さな衝撃だった。
顔に何かがついた。
顎を動かしてみる。 …問題ないようだ。

ガーベラは恐る恐る目を開ける。

まだすぐ目の前に男がいた。
呆然といった表情で、右手を見ている。


オリハウラ=ベルベルタは見開かれた目で右手を見つめた。
右手だったものを見つめた。
ただ少女を殴っただけだ。 口ばかりが達者で、無知で、力もない少女を殴りつけただけ。
恐れた少女は目を瞑った。

彼の右手は確実に彼女の左顎にぶつかった。

そうして…



右手は砕け散った。
手の甲から肘までが砕けて灰になった。
少女の顎にほんの少しの赤みをつけることもできずに、右手はなくなってしまった。
灰が、周辺に散る。
地面に、少女の顔に、自分の服に、飛び散った。

それがオリハウラ=ベルベルタのしたことの結果だった。


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