塵の名前、灰の名前 10


強い風が巻き起こった。
抜け殻のようになっていた男の体が風にあおられひっくり返る。
不自然にそこにだけ巻き起こった風。 ―――魔法。

「ガーベラから離れろ。」
オリハウラ=ベルベルタは体を起こそうともがいた。 右手がないというのはこれほど不便なものか。
右手で何度か空振りをしたあと、左手を使って体を起こす。
テティウスがオリハウラと少女の間に立っていた。
先ほどの風は彼の魔法だ。

「…その必要はなさそうだが。」
テティウスの視線が、男の右手に絡む。


「テティウス」
精霊のほうへ這い寄る。
塵と風の精霊。 完璧、無欠のもの。 彼の研究の行きつく先。
テティウスのようになりたい。 その一心で150年も研究に没頭してきた。
自分は後何をすれば、彼のようになれるのだろう?

「テティウス、私は君のようになりたいんだ」
この腕が砕けてしまったのはテティウスのようになれなかったからだ。
まだ欠点だらけだからだ。
「我のように?」
「そうだよ。 前と同じように私の研究を手伝ってくれよ。 私が君のようになれるまで。」

オリハウラ=ベルベルタは苦笑しながら右手を持ち上げた。
「見てくれ、この腕… 私は殴ろうとした方なのに、砕けてしまったんだ。
 こんな未完成な器じゃだめなんだ。 君になれないんだ。」

人が、精霊になる研究 …とでもいえばいいのだろうか。
そんなものに自分が携わっていたのか。
今なら絶対にそんなものに関わることはない。
「…我はお前のことを思い出せぬ。」

音は少しだけ覚えている。 木々のざわめき、子供の声、靴の音 …水が滴る音。
彼の名前がオリハウラだと知ったとき、テティウスと呼ばれたとき。
それだけが浮かんだ。 …それ以外はなにも覚えていない。
男の低く通る声も、彼の元の顔立ちも。

「だがもし、我が本当にお前の研究を手伝っていたのなら」
「手伝ってくれていたよ! だから私はここまでこれたんだ。」

「…いたのなら、我はお前に教えなかったのか?」
「君はいろいろなことを教えてくれたさ!」


「肉体を失くすということは、世界を変える力を失くすということだと。」

「……世界を… 変える…?」

どうやら彼の”テティウス”は教えなかったらしい。
もしくは、ただ単に彼が忘れてしまっただけなのかもしれない。

”世界を変える力”ときくと、大それたことのように聞こえるが、実はそうでもない。
ガーベラを殴ってけがをさせる。 これも”世界を変える力”のひとつだ。

人を傷つける。 人を説得する。 物を動かす。 物を作る。
例え何気ない行動のように思えても、それらすべてが世界を変えていくのだ。

肉体を持つものは世界を変える力を持つ。 と、同時に肉体における限界というペナルティを負う。
逆に肉体を持たないものは限界がない。 そして世界を変える力を持つこともない。


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