塵の名前、灰の名前 14


「ガーベラよ。」

押し黙っていた精霊が口を開いた。
二人は家路の途中である。 精霊は獣の姿ではなく、鳥の姿になっている。
4枚羽に長い尾をもつ鳥の姿。 翼が風を受けて膨らむ。
―――私と一緒の時は鳥の姿だった。 そう。 大きな羽を4枚、長い尾を垂らした鳥だった。

精霊に背に体を預けたまま、ガーベラは「うん?」と小さく返事をした。
「我は、テティウスなのだろうか。」
「さぁ… どうかしら?」
ガーベラが袋を探る音がする。

「私は”オリハウラ”しか知らないわ。」
いつもの声、いつもの調子。 ガーベラは父ジュノウ以上に感情の起伏が控えめだ。
弟のネージュときたら、叫ぶか笑うか、とにかく静かになんぞしていられないというのに。

「だがオリハウラはあいつの名前だった。」
灰になった哀れな男。 オリハウラ=ベルベルタの最後の顔が浮かぶ。


ヴェルヴェド・テオ・テティス・シュトラーム・デル・オリハウラ

よくよく考えれば、不自然に長い名前である。 彼には継ぐべき名などあるはずもないのに。
「ヴェルヴェド」は「ベルベルタ」
「テティス」は「テティウス」
「オリハウラ」は …あの男の名前。

呼ばれなれた名前ではなく、聞きなれた言葉をつなぎ合わせて名前にしていた。
おそらくは「テオ」「シュトラーム」「デル」も地名か人名か… どこかできいた言葉なのだろう。


自分はオリハウラではない。
「我はテティウスなのだ。」
…そもそもテティウスすら、どうして名乗るようになったものなのかわからないが。

「そう」
袋がガサガサと鳴るのをやめた。
背に乗ったガーベラがどんな顔をしているか見えないが、きっといつもと同じ顔をしている。
「それなら私はあなたを”テティウス”と呼んだほうがいいのかしら?」

精霊が飛ぶ速度を緩めた。
今度は真下で木が葉擦れの音を立てる。

「…名は正しいほうがいい。」
「それがあなたの考え?」
後ろから鳥の群れがついてくるのが見えた。

「そうだ。」
ふうん とガーベラは気のない声を出す。

「なら… お母さんの名前は呼べないのね。」
「…何?」
オリハウラが少し体をひねった。 ガーベラは慌ててオリハウラの背中を掴む。
――ちょっと、振り落とさないでよ?

「お母さんは名前が本当の名前が思い出せないもの。」

鮮やかなオレンジ色の髪。 華奢な体。 不可解な能力。
―――パンセと呼ばれている人。
彼女は名も自身の能力の由来も過去も、何一つ思い出さないまま、
ジュノウの妻となり、ガーベラとネージュの母になった。

「パンセ」はジュノウがつけた名前だ。
彼女はその名を大いに気に入っている。 名を問われれば必ず答えるだろう。
自分の名前はパンセだと。



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