神官と咎人 花と記憶 7



オリハウラにとって、もっとも大事なのは「契約主」である。
契約主が巻き戻りを知らないのであれば、オリハウラも知らない。
契約主に過去の記憶がないのであれば、オリハウラにもない。
そうすれば、取り残された と感じることはなくなる…

だから、契約主であるジュノウがパンセのことを知らないのであれば、オリハウラもまた、パンセを知らないのだ。
オリハウラは対応を決めた。
第一声は「はて」だった。 相手の気持ちを煽ってしまうかもしれないと、思ったが。 他にふさわしい言葉が思いつかなかった。

「どなたであろう。 我の名を知っておるとは。 過去のお会いしたことがあったかな…?」
わずかにパンセの口が開いた
「契約したものなら記憶しているのだが… おそらくは皆、老齢のはず。」
頭の中で必死に言葉を探す。
いつもなら、いつもの自分ならなんて言うだろう。どうすれば、おかしくない言葉になるだろうか。 次に何を続ければ「オリハウラらしい」のか。

「オリハウラ…?」
「わかったぞ、我の名が世に轟いているということなのだな! お嬢さんは我のファンということであろう?」

パンセはみるみる失望した顔になる。
ズキズキと良心が痛んだが、言葉はつっかえることなく「オリハウラらしさ」を演じられた。

「… 先ほどジュノウの名を口にしておったが、…ジュノウのお知り合いかな?」
パンセは何も言わない。 ただじっと、オリハウラのほうを向いていた。

泣くわけでもなく、動くわけでもなく、問うわけでもなく。
時間の流れがひどく遅い。
パンセは何も言わない…。
この場合、「オリハウラらしく」何かを言うべきだろう。

オリハウラが言葉を探し始めたそのとき…

―――現れた。
黒い渦が。オリハウラの足元で静かに蠢いている。
声を出し損ねた。 なんだこれは と叫ぶべきだったかもしれない。

思わず後ずさりしたが、渦はオリハウラに縫い付けられたように離れない。
この黒い渦のことをオリハウラは知っている。「敵意を見分ける渦」だ。

禍々しくも神々しくも感じる黒い渦は、いつもより長く出ているように感じる。
渦がオリハウラの中の敵意を探しているのだろうか?

「これは」
オリハウラが言葉を発したその時、渦は待っていたかのようにパッと消え失せた。
言葉が宙に浮く。

思わぬ出来事だったから…
―――オリハウラはパンセの方を見てしまった。

パンセは渦を見ていなかった。
ずっと、オリハウラだけを観察していた。

オリハウラが「オリハウラらしい演技」をしているところを、 パンセはずっと観察していた。
自分の体に心臓なんてものはない。
唾を飲み込むことも出来ない。
目を見開くことも出来ない。

だけど、今はそうなる気持ちがわかる。
無いはずの心臓が、強く速く鳴っているような気がする。
目の前の少女は今だ観察を続けている。
せめて何かを言って欲しい。
もう自分から何かを言うことができない。

気づいているのか と自分から問いたい。

時間を …動かしたい。


「オリハウラ」
時間を動かしたのは、パンセでもオリハウラでもなく  …ジュノウだった。
家の中から呼ぶ声が聞こえる。
オリハウラはぱっと顔をあげ、その場から逃げるように家に入っていった。
存在しない心臓は、今だ早鐘を打っているような気がした。
パンセはまだオリハウラを見ている。
あれほどの動揺を見せてしまったのだ。 もう彼女は気づいているだろう。

しかし精霊は演じなくてはいけない。
自分は彼女を、知っていてはいけないのだ。