塵の名前、灰の名前 4


オリハウラは男が去った後も同じ姿勢で硬直していた。
何事もなく時間は流れる。 最後の犬が飼い主に引き取られていく。
雑踏。 笑い声。 怒号。 いつもの市場。

―――テティウスとはなんだ。
問の答えを知っている。 「君の名前だろう?」低く通る声が、頭の中で反響した。

オリハウラは …―――いや、テティウスは。 …テティウス? 聞き覚えのない名前だ。
…自分はオリハウラという名ではないのか。 あの男は本当に契約主だったのか。
勘違いではないのか?

だが、あの男は自分の能力を知っていた。 塵と風の器。
他にそんな能力を持つ精霊を知らない。
自分? 自分とはなんだ?
自分はヴェルヴェド・テオ・テティス・シュトラーム・デル・オリハウラではないのか?



そもそもこの名は… 誰につけられた名前だった?


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額をパシンと叩かれた。
はっとして今の状況を確認する。
ガーベラがむくれた顔で目の前に立っていた。 どうやら何度も名前を呼ばれていたらしい。

「オリハウラったら… 何度も呼んでるのにちっとも反応しないんだもの。
 寝てたの?」
その言葉はオリハウラに向けられたものだ。
「あ、いや… 寝てはいない。」
ガーベラの手には小さな戦利品がぶら下がっている。
「帰りましょう。」
くるりと背を向けて声をかけた。
…なのに、オリハウラは立ち上がらない。 反応がおかしい。
「どうしたの?オリハウラ」

オリハウラ。  …オリハウラ?
呼びかけは真っ直ぐ精霊に向けられている。
「…我か?」
……オリハウラ…?

「他に誰がいるっていうの。」
ガーベラはオリハウラの襟首を掴んで引きずっていこうとした。
…が、動かない。 石になったように座り込んだままだ。

待たせすぎて忠犬ハチ公になってしまったのだろうか。
忠犬はおかしなことを言い始めた。
「我はオリハウラなのか?」

ガーベラの手がオリハウラの首から離れた。
顔を覗きこまれ、背中を触られ、しっぽを引っ張られる。
一通り確かめてから
「そうだと思うけど。」
オリハウラは重い腰を上げた。 肉体ではないのに、どうしてこういうときには、人と同じように器が重く感じられるのだろう。
不思議そうにしながらもガーベラは前を行く。
精霊はそのあとをとぼとぼとついていった。


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