塵の名前、灰の名前 5


市場の出口間際になって、精霊の足は再び重くなった。
2本のしっぽは風に揺られることなく、地べたを這いずっている。

人が少なったところで、ガーベラは足を止めた。
「何があったの?」
オリハウラはぺたりと座り込んだ。
「人と話した。」
「そう。 …それで?」
「我の知らないやつだ。」
まるで、罪を告白するかのようにポツリポツリと言葉が出た。

「知らない人と話したの?」
「我は知らない。だが、相手は我のことを知っていると言った。」
「人違い…かしら?」

そうだと思う。   …というセリフは、精霊の口から出なかった。
再び押し黙る。


雲が流れる。 風が吹く。 時間が過ぎてゆく。 多くの人が二人の横を通り過ぎていく。

大きな獣の姿の精霊はただ座っていた。
契約主の娘は彼を待っていた。
時間は何かを解決してくれそうでいて、その実意味もなく流れた。

その二人の間を割って、低く通る声が響く。

ガーベラはそれが自分たちに投げかけられた言葉だと気づかなかった。
精霊は自分の名前を呼ばれたと気づいた。

「テティウス!」

オリハウラ=ベルベルタの声が、する。


精霊オリハウラに駆け寄る人間が一人。 この砂漠においてあまり見ることのない服装をしている。
いわゆるスーツというやつだ。
紺のスーツに革の靴。 出身はマッカではないだろう。 しかも外見のためには機能性を無視する性質のようだ。

そこまで評価してから、目は身なりから顔へ移った。
ゾンビだと思った。 砂漠の地下で出会ったゾンビたちと似ている。
崩れかけたり腐ったような部分は見られないが、なぜかガーベラには、彼らよりずっと醜く感じられた。

「ああ、よかった。 もう会えないかと思ってね。 やっぱりもう少し話をしたいんだ。」
ゾンビのような男がオリハウラに話しかける。
オリハウラは硬直したままだ。 頷くでもなく、声を出すでもなく。 彼が作る塵のオブジェクトのように、ただそこにいるだけだった。

「オリハウラのお知り合いの方?」
オリハウラは動かなかった。 代わりに男が目を丸くして振り向く。

「あぁ… ええっと…」
なぜか男が言いよどむ。 大きなくまをひっつけた目が、ガーベラを観察している。
そうして手で頭を掻いた。
「どこかでお会いしましたっけ…?」
おそらくは照れたような笑いの仕草だ。 だが今の彼はそれを表現するだけの皮膚と筋肉が足りていない。

ガーベラは涼やかな目を向けたまま言った。
「いいえ、お会いするのは初めてです。」
「え…? では私の名前をどこで?」
ガーベラは眉を寄せる。話がかみ合わない。 オリハウラは硬直したまま動かないし、この男に訊くしかないようだ。
「オリハウラに話しかけてましたよね? 彼のお知り合い?」

男はおかしな顔をした。 おそらく今度の顔は”驚き”を表している。
「オリハウラは私の名前ですよ。」
今度は笑顔。 目を細めたはいいが、目と口の周りの皺が深々と刻まれ、ひび割れたようになっている。

同名とは珍しい。 オリハウラの名を持つ人間にあったのは初めてだ。
「あら…そうだったんですか。 私が言ったのはそちらの…精霊のことです。」
ガーベラは座り込んでいる精霊を指さした。 額の紋章が黒ずんでいるように見える。
「精霊オリハウラ。 あなたは彼のお知り合い?」


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