塵の名前、灰の名前 6


男の目が、精霊オリハウラとガーベラを行き来する。
そうして何往復か繰り返したのち、オリハウラのほうへ定まった。
「君… オリハウラって名乗っているの?!」
首が硬直して動かない。 …そんなはずはないのに。 ただの塵で、血も通ってないのに。

「偽名? なんでまた…?」

オリハウラの視界が暗転する。
偽名。 そうか。 自分は偽名を名乗っていたのか。
本当の名前は別にあったのに、オリハウラの名前を名乗っていたのか。

木々のざわめきが聞こえる。 水辺ではしゃぐ子供の声が聞こえる。
革靴が石畳を叩く音がする。
何度も何度も靴の音が響くと、木々のざわめきも子供の声を聞こえなくなった。

今度は水の滴る音。 ぴちょんぴちょんと響き渡る。
ここはどこだろう。

自分は…誰なんだろう。


「偽名って…」
ガーベラは思わず眉を寄せた。
笑うこともできない冗談だと思った。
偽名のはずがなかった。 そもそも嘘をつく必要がない。
オリハウラの反応を見てわかった。 今日彼がおかしいのはこの男のせいだ。

ガーベラはオリハウラのほうへ近寄っていった。 男よりもオリハウラに近いところに立つ。
右手で毛を撫でると、ぼろぼろと塵に戻ってしまった。
慌てて手を引っ込める。
「それで、オリハウラに何の御用かしら?」
「私、研究者なんです。 オリハウラ=ベルベルタと申します。」
男は恭しく頭を下げた。

なかなか魅力的な声だと思う。 声だけなら30代後半 …父と同じくらいだと感じる。
そして堂々とした名乗り方。 嘘はついていない。
この人の名前も間違いなくオリハウラだ。

「テティウス… 彼に関する研究をしておりまして。」
男の手が精霊オリハウラのほうへ向けられる。
「かなり完成には近づいたのですがね。 まだもう少しだけ足りないのです。
 それでもう一度手伝ってもらえないかと。」
「オリハウラの研究? 一体どんなものを?」

「彼のことをオリハウラと言われるとどうもしゃべりづらい。」
オリハウラ=ベルベルタはぼりぼりと顎をかいた。 人刺し指の爪は欠けたまま伸びてこない。 指の先でかく。

「私と契約していたときはテティウスという名前だったのですよ。
 私は彼をテティウスと呼ばせてもらいます。

 …で、私が興味を持ったのはテティウスの塵と風で器を作る能力です。」
大きく息を吸い込む。 誇らしげに胸を逸らした。
「実に素晴らしい能力でしょう?
 塵と風。 つまりはどこにでもあるものだ。 それらで自分の体を作ってしまうのですから。」

オリハウラの能力は実に不思議なものだと思う。
正しく言えば彼が作ったそれは、体ではない。 ただの器である。
いわば人形のようなものだ。
オリハウラはそれを自在に作り、動かすことが出来る。

不思議な能力だと思ったことはあるが、素晴らしい能力だと思ったことはない。
ガーベラは黙って、ヒートアップしていくもう一人のオリハウラの演説を聞いていた。


「この能力があればどんなことも恐ろしくない。
 病気にならず、傷を負わない。 物理的に押しとどめられることもなく、文字通り自由だ。
 死は存在せず、老いなど関係なく。
 永遠に滅することなく存在し続けることができる。」
「…その研究を?」
熱を帯び横道にそれかけたオリハウラの演説を、元の道に押し込む。

「そう! テティウスの能力を手に入れる研究をしているのです。」
「その研究を彼に手伝ってほしい …と。」
「ええ。 そうです。 あなたが今の契約者?」
オリハウラ=ベルベルタの熱いまなざしがガーベラに向けられた。
彼の目はガーベラを見ていなかった。 ガーベラの瞳に映る自分の影を見つめてる。
「いいえ、契約者は私の父です。」

「それは残念だ… ならばあなたのお父上にお会いできないかな?
 契約を解除してくれとは言わない。 ただ彼が私の研究を手伝うことを許可してほしい。」
「許可?」
ガーベラの中に何かが揺らめいく。
「父に許可をする権利はないです。 それはオリハウラ自身が決めることだわ」
ガーベラは強く嫌悪を感じた。
誰かに対して… どんな生き物に対してもここまでの感情を抱いたことはない。
強く強く… 目の前の者を「醜い」と感じた。

なぜかしら?


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